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歴史人物の備忘録

ライトな歴史好きによる備忘録です

安和の変

安和の変まとめ

・冷泉帝の東宮を巡り、年長の為平親王を抑えて守平親王が選ばれる。
源満仲の密告から守平親王廃太子にする陰謀が露見。 これにより左大臣源高明が失脚。
・摂関の役職が常置されるようになり、藤原氏の勢力が安定する。

主な関係者たち

源高明:謀反の嫌疑で太宰府に左遷される。2年後に京へ帰還するも、政界には復帰できず。
藤原伊尹&兼家:高明を排除して更に勢力を強める。
源満仲:謀反を密告し、事件の切欠をつくる。 藤原千晴を排除し、昇進もできてウマウマ!
藤原千晴藤原秀郷の子で満仲のライバル。謀反に加担したとされ、流罪に。
・為平親王:優れた東宮候補。高明に近づきすぎたことから、藤原氏によって遠ざけられる。
・守平親王:為平親王の弟。藤原氏によって東宮へと立てられ、円融天皇となる。

源高明について

源高明醍醐天皇の皇子として生まれ、7歳の時に臣籍降下して源姓を名乗っている。
為平親王の父・村上天皇の兄にあたり、長じて故実に通じた朝廷の実力者となった。

高明は村上天皇の信頼が篤く、更にその後ろ盾として
舅・藤原師輔(伊尹、兼家の父)や、妻の姉で村上天皇の中宮となった安子がいた。
この安子は為平親王、守平親王の母親でもある。

醍醐天皇村上天皇は摂関を置かずに自ら親政を敷いた。(延喜・天暦の治)
高明も父や弟の天皇親政を支持していたという。

さらに彼は自分の娘を為平親王へと嫁がせた。
為平親王の伯父と舅を兼ねるという縁組だが、この強固すぎる結びつきが災いを招く。

安和の変における経緯

村上天皇崩御に伴い、冷泉天皇が即位した。
冷泉天皇は容姿端麗だが奇行が多く、病弱だった為、
帝の同母弟である為平親王と守平親王のどちらかを東宮に定めることとなる。

順当に考えると、年長かつ聡明とされた為平親王が選ばれるはずである。
ところが実際にその座についたのは守平親王だった。

藤原氏の陰謀

さて。冷泉天皇を補佐するべく、それまで長く置かれなかった関白が復活した。
就任したのは藤原氏の長老・藤原実頼である。
しかし彼は冷泉天皇外戚ではなく、その立場も盤石ではなかった。

もし為平親王が東宮になり、更に即位された場合は源高明外戚になる。
高明の権力が強まれば、摂関政治で政権を握ってきた藤原氏が脅かされるのは明白だった。
守平親王が東宮となったのは、高明を警戒する藤原氏の裏工作があったからとされる。

高明は失望した。
しかし、この頃には師輔はおろか、安子や村上天皇薨去している。
支援者を失い、藤原氏に目をつけられた彼は宮中で孤立しつつあった。

源満仲の密告

そんな中、満仲は守平親王廃太子とする謀反の密告をした。
密告の正しい内容は未だ不明で、そもそも源高明が関与したとする証拠もない。
一説には源高明が為平親王を東国に迎えて乱を起こし、皇位に就けようとした
というものがあるが、該当文献の信憑性は薄い。

冤罪同然の言いがかりだが、結果として高明は失脚。
検非違使に捕らえられ、息子と共に太宰府へと左遷された。
更に満仲と勢力を争っていた藤原千晴藤原秀郷の子)も隠岐へと流される。
この功績により、満仲は正五位下へと昇進した。

元々、満仲は高明派と目されていたが、
これを裏切って密告したのではないかと噂された。
蜻蛉日記」の作者である藤原兼家の妻(道綱の母)は
都の様子を述べつつ、源高明に同情している。
藤原兼家も変の首謀者ではないかと言われている。

摂関政治の全盛期、はじまる

安和の変藤原氏による最後の他氏排斥事件とされる。
摂関は常置の職とされ、これ以降の権力闘争は藤原摂関家内部での争いとなっていく。