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歴史人物の備忘録

ライトな歴史好きによる備忘録です

源満仲(多田源氏・初代)

人物(清和源氏)

源満仲まとめ

・多田に拠点を構え、多田満仲(ただのまんじゅう)と呼ばれる。ギャグではない。
藤原兼家道長の父)に仕えて活躍。富を蓄え、多くの郎党を養う。武士団のはじまり。
安和の変花山天皇退位事件等に関与する。武闘派に見えて、案外策謀家。

基本データ

生年:912年
没年:997年(享年:87歳)

主な家族

父:源経基
兄弟:満政(長弟)、満季(次弟)、他
子:頼光(嫡男)、頼親(次男)、頼信(三男)、他

人間関係

藤原千晴藤原秀郷の嫡男。目障りなライバル。
源高明:最初の上司。後に失脚へと追い込む。
藤原兼家:転職先の上司。彼の下で大出世していく。
源満季:満仲家のセコム。

都の武闘派貴族、武士団を作り上げる

若き日の満仲については正しく判っていない。
平将門の子が入京したという噂が流れた際、その捜索を命じられたというから、
父・経基に従って関東で過ごしていた可能性は高い。
(更には将門一族と面識ぐらいはあったかもしれない)

満仲の名が史料上で目立つのは、彼が50歳近くになってからだ。
その頃には武官貴族として都で活動しており、
自邸を襲った強盗を自ら捕らえるなど、老いてなお盛んな御仁だった。

安和の変と満仲の密告

この頃、朝廷では左大臣源高明藤原氏の間で権力闘争が生じていた。
そんな中、満仲は皇太子・守平親王を廃するという謀反の密告をする。

この結果、源高明は失脚。
更に満仲のライバルだった藤原千晴藤原秀郷の子)も隠岐へと流された。
そもそも満仲は高明派であり、実は裏切って密告したのではないかと噂されている。
これ以降、満仲は藤原摂関家へと接近。
彼の子孫たち、特に河内源氏が藤原摂関家と縁深いのはこの頃からである。

満仲がどういう意図で密告したかは定かではないが、
当時、孤立気味だった源高明から、更に勢いづいた藤原摂関家に乗り換えられたこと、
近所の武官貴族として勢力を競っていた藤原千晴を排除できたことを考えると、
偶然と言うより、政治的に計算された行動のように思える。
(なお藤原千晴は弟・満季が捕まえている。)

藤原摂関家への鞍替え

その後、満仲は藤原兼家に仕えた。
あの道長父親であり、摂関家の地位を高めた人物である。
この頃、武蔵国伊予国陸奥国などの受領から、左馬権頭・治部大輔を経て
最後は父同様、鎮守府将軍の職に至った。
これらの官職で莫大な富を築いた満仲は、
他の武士から嫉妬されまくった末に自邸を襲撃&放火されている。
この時の火災は満仲の屋敷だけでなく、周囲数百件を巻き込む大惨事となった模様。
(なお犯人は弟・満季が捕まえている。)

さらに兼家が画策した花山天皇退位事件(寛和の変)においては、
花山天皇を連れ出した藤原道兼(兼家の三男)を警護したという。

多田源氏と武士団のはじまり

満仲は多田盆地を中心に多くの所領を開拓し、多数の郎党を養い武士団を形成した。
彼自身も多田満仲と名乗っている。

ドラゴンスレイヤー満仲

朝廷から摂津の地を得た満仲が、住吉大社に参拝して居城を構える場所を祈念したところ、
「矢を放ち、落ちたところに造れ」というお告げがあった。

そこで満仲は鏑矢を放ち、それを郎党たちが探したところ、
矢は沼に棲む9つの頭を持つ巨大な蛇(九頭龍)を射殺していた。
その地は肥沃で、多くの田を生み出したことから多田と呼ばれたという。
三ツ矢サイダーの「三ツ矢(満矢?)」の由来とも言われる。

殺生放逸の者、菩薩心を起こす

生涯の大半を武力と陰謀に費やした満仲だが、晩年は息子の勧めで出家している。
当時の人は言う。
「殺生放逸の者が菩薩心を起こして出家した」と。
満仲はその後、87歳で亡くなった。

膝丸と髭切

平家物語等で有名な膝丸と髭切という揃いの刀がある。
この二振りは源氏重代の太刀と呼ばれ、満仲の命で作られたとされる。