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歴史人物の備忘録

ライトな歴史好きによる備忘録です

源頼信(河内源氏初代)

人物(清和源氏)

源頼信まとめ

・武勇に秀でた河内源氏の祖。
平忠常の乱を鎮圧。坂東平氏の多くが、この時に勢力下へと入る。
・兄の頼光が京で活動したのに対し、頼信は東国に拠点を置く。

基本データ

生年:968年 没年:1048年(享年:80歳)

主な家族

父:源満仲
兄弟:頼光(長兄)、頼親(次兄)、他
子:頼義(嫡男・長男)、頼清(次男)、他

人間関係

平忠常:元家人といわれる。それなりに信頼関係があった模様?

東国に根付いた河内源氏の祖

兄・頼光同様、藤原摂関家に仕えて勢力を伸ばし、
やがて河内国に土着して香炉峰の館という屋敷を建てた。
この地で嫡男・頼義や孫の義家、義綱、義光らが育ったと言われる。

平忠常の乱

頼信の功績において最も有名なのは、平忠常の乱を平定したことだろう。
関東で大乱が起きるのは、祖父・経基が平将門の乱をニアミスしてから約90年ぶりのこと。
頼信63歳の時である。

乱が起きた当初、朝廷は平直方を討伐軍として派遣した。
しかし士気の高い反乱軍を攻めあぐねた末に持久戦となり、3年が経過してしまう。
これを不満とした朝廷は、直方に替わって頼信に白羽の矢を立てる。

頼信と忠常は以前合戦に及び、忠常側が名符(名簿)を差し出して降伏している。
その後、忠常は頼信の家人となっている。(契約が一時的なものかどうかは不明)

頼信は念入りに準備を整えると、忠常の子を連れて関東に向かった。
そして忠常は頼信が派遣されたと知るや、戦うことなく即座に降伏している。
降伏の理由としては、主人である頼信への遠慮、長期戦で兵が疲弊した、
あるいは忠常自身の病のため等と言われている。

以降、坂東平氏は頼信の支配下に入り、
河内源氏が東国に根付く切欠となった。

今昔物語では、嫡男・頼義と共に馬盗人を退治するという、
中々かっこいい話がある。

鎮守府将軍河内源氏

今では河内源氏こそが武家源氏の嫡流と言われるが、
満仲の所領である摂津・多田は長兄・頼光が相続している。

一方、最強の武士に与えられる鎮守府将軍や、
祖父・経基より続く東国での活動は、頼信の系譜が受け継いだ。
更に前九年・後三年の役において子・頼義、孫・義家が活躍したことから、
武家源氏と言えば、河内源氏というイメージが世間に定着したのは間違いない。
(後世、頼朝が自分の直系こそ嫡流だと後付け主張した可能性もある)