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歴史人物の備忘録

ライトな歴史好きによる備忘録です

源義国

源義国まとめ

・義家の四男。義忠の同母弟だが素行が悪かった為、後継者選定からは外れる。
・通称「荒加賀入道」。常陸に進出し、叔父・義光と激闘を繰り広げる。
室町時代に名を上げた足利氏や新田氏の祖。

基本データ

生年:1091年
没年:1155年(享年64歳)

主な家族

父:源義家
兄弟:義親(次兄)、義忠(三兄)、他
子:義重(長男)、義康(次男)、他

人間関係

源義光:陰湿なクソ爺、常陸から追い出しちゃおうぜ→無理でした。
源義朝:義親兄の孫。縄張りを荒らしに来たかと思いきや、なんだかんだで同盟関係に。
河内経国:暗殺された義忠兄の子。しゃぁない、面倒見てやるか→義朝との仲介役に。

平安時代の非行少年、関東に根付く

源義家の四男として生まれる。
次兄・義親が九州で反乱を起こした後は、同母兄・義忠と共に後継者と目されるものの、
義国もまた素行が悪く、後継者選定からは早々に外されてしまう。

武士とは言え、大なり小なり朝廷や貴族社会と関わりを持たねばならない以上、
どれだけ強くとも、乱行が酷くては到底棟梁は務められないということだろう。

常陸合戦からの足利荘成立

はじめは上総国勢力を築くものの、後に叔父・義光が勢力を張る常陸へと進出。
合戦に及んだ末に勅勘を蒙り、父・義家に捕縛命令が下りている。
当時、義国は15歳。叔父・義光は61歳。

常陸勢力争いでは敗れるものの、
下野国に足利荘を成立させて同地に勢力を築いていく。
足利は下野・上野・武蔵へのアクセスもよく、戦略的にも重要な土地だった。
ここと近隣にある新田荘は義国からその息子・義重&義康に伝えられ、
南北朝時代へと続く名門の礎となる。

義朝との対立、相剋の回避

為義の長男・義朝が関東に下向して相模国勢力圏とすると、
下野国の義国と競合関係に陥った。これを調停したのが、河内経国である。

経国は兄・義忠の忘れ形見であり、義国にとっては甥にあたる。
義忠が闘死した後は為義に邸を追われ、母方の叔父・平忠盛に育てられていた。
そんな状況を不憫に思ったのだろうか。
義国は自らが上洛した際に彼の烏帽子親を務めるなど、よく面倒を見ていた。

ここに義国と義朝という二つの源氏が争うことを憂いた経国は、両者の調停に奔走する。
その甲斐あって両者は同盟を結ぶことに成功した。
さらに義国の次男・義康と義朝は相婿になるなど、親密な関係を築いている。

室町時代に続く源氏の血脈

長男・義重は新田荘を継ぎ、新田氏の祖となった。
後に新田氏は南北朝時代新田義貞を輩出する。

次男・義康は足利庄を継ぎ、足利氏の祖となった。
こちらは室町幕府の開祖となる足利尊氏を輩出する。

当の義国本人だが、晩年になっても気性の荒さは相変わらずだった。
60歳近くになっても徳大寺実能の屋敷を焼き払い、勅勘を蒙っている。
それでも兄・義親のように討伐命令が下りないだけ、まだ可愛い部類だろうか。
さしずめ、永遠の非行少年である。