歴史人物の備忘録

ライトな歴史好きによる備忘録です

源義光

源義光まとめ

・義家と仲良し。通称、新羅三郎。
・戦国時代に活躍する甲斐武田氏常陸佐竹氏、南部氏の祖。
・義家死後に棟梁の座へ野心を抱く。甥・義忠と兄・義綱を排除するも、陰謀は失敗に終わる。

基本データ

生年:1045年
没年:1127年(享年:82歳)

主な家族

父:源頼義
兄弟:義家(長兄)、義綱(次兄)、快誉(異母弟)他
子:義業(嫡男)、義清(三男)、他

人間関係

源義家:歳は離れているけど、仲良しの長兄。
源義綱:長兄と微妙な関係の次兄。
源義忠:……。
源義国:俺の領地を踏み荒らすクソガキ。
平成幹:お前はもう用済みだ。
藤原季方:お前も本当に上手いことやってくれたよ。
快誉:どうして陰謀はバレてしまうん?

義家と親しい弟

義家、義綱、義光は同母兄弟にあたる。
6歳年上の長兄・義家のことを、義光はかなり慕っていたらしい。
後三年の役においては、義家の苦戦を知ると官位を返上して助けにいった。
義家は弟の情に感動したのか、父・頼義が生き返ったようだと涙したとある。
ちなみに義家と不仲だった次兄・義綱は参陣していない。

戦後、義光は刑部丞、常陸介、甲斐守を経て、刑部少輔まで出世した。
また、常陸平氏から妻を娶り、同地において勢力を伸ばしていく。
戦国時代に活躍する常陸の佐竹氏、甲斐の武田氏などは義光の子孫にあたる。

仁義なき常陸

義家の四男・義国が常陸への進出を目論むと、これと合戦に及び勝利する。
しかしこの抗争で朝廷の機嫌を損ねてしまい、義国共々勅勘を蒙ってしまう。
当時、義光60歳。義国はなんと15歳。
茨城県でヤクザの大ボスと若手のヤンキーが殴り合ったようなものである。

河内源氏に関するトラブルは続く。
義家の次男・義親が九州で謀反を起こし、朝廷が討伐を命じた矢先。
ついに源氏のドン・義家が病没した。

源義忠暗殺事件とその黒幕

義家が亡くなると、その後を三男・義忠(義国の同母兄)が継いだ。
義家ほどの武威は無かったが、白河院や新興勢力伊勢平氏と協調姿勢を取ることで
これまでの河内源氏とは異なる形で勢力の安定を図っていた。
武闘派ヤクザが代替わりしてインテリヤクザになったようなものである。

その様子を見た義光は、棟梁の座へと野心を抱いた。

そこで利用したのが、義家と不仲だった次兄・義綱である。
義光は異母弟で園城寺の僧となっていた快誉と共謀。
郎党・藤原季方を使って義綱の子・義明の刀を密かに持ち出し、
長男・義業の義兄にあたる平成幹(鹿島三郎)に命じて義忠を闇討ちにした。

朝廷は義綱らが義忠を排除して、源氏棟梁の座を狙ったものと断定。
義綱父子は嫌疑を否定するが、朝廷は義忠の後を継いだ為義を派遣し、これを討伐した。
この時、幼い為義の背後にいたのは義光だった。

可愛い弟キャラがどうしてこうなったのか

暗殺に関与した藤原季方と平成幹も義光と快誉によって葬られた。
直接的には手を汚さず、上手く事を運んだように見えるが、
何かの拍子で真相がバレてしまったらしい。
(というより、露見した正確な原因はわかっていない)

ともかく、事件の真犯人であることが公になった以上、
義光は自らの勢力圏である常陸に逃げ帰らざるを得なくなった。
かくして有力者を次々と失った河内源氏は凋落し、義光自身も三井寺にて没した。
死因は病死の他、義忠の遺児となる河内経国によって討たれたともされる。

藤原季方と平成幹の死

藤原季方は後三年の役において活躍した後、義明の乳母夫となっている。
義忠暗殺事件においては、まず義光から義明の刀を持ち出すように命じられ、
その刀で義忠が葬られると、義綱の命で義忠を襲撃した犯人に仕立て上げられてしまう。

義綱一族は甲賀山に篭もるものの、
その中で義明だけは病床にあったことから、季方の館に篭もることとなった。
やがて白河院の命を受けた検非違使が攻め寄せ、義明・季方は奮戦するも自害した。
季方が刀を持ち出したことを悔やんだのは間違いない。

平成幹は義光の長男・義業の義兄(妻の兄)にあたる。
義光は季方が持ち出した刀を成幹に与え、義忠の暗殺を命じた。
成幹は背後から義忠に斬りかかるものの、反撃を受けて負傷。義忠はその傷で死亡した。

成幹は暗殺の成功を主君・義光に報告した。
義光は成幹に弟・快誉宛の書状を与え、養生せよと園城寺に向かわせる。
快誉は書状を見ると、成幹を生き埋めにして始末した。口封じである。

思うに季方も成幹も、義光への不信を誰かに打ち明けていたのだろう。
こうした経緯がいつ、どこから漏れたかは定かではないが、
結果として義光の陰謀は暴かれ、今に至る。

武道や音律の名人

義忠暗殺事件のインパクトが強い義光だが、弓馬の術や音律に長けたとされる。
著名な古武道の流派・大東流合気柔術では、義光を開祖としているし、
弓術・馬術で知られる小笠原流、武田流にも縁深いとされる。